レンタルビデオヒストリー《創生期1980年~1989年-前編~貸しレコードとインベーダーゲーム~》
レンタルビデオ批評家 犬岡淳さんより 投稿いただきました。
70年代後半から貸しレコードという業態が生み出され、売れないレコード屋さんがこぞって参入し全国規模に広がる。
これが現在にもつながるツタヤやゲオの原点であり業態そのものは順調に成長するものの、著作権の問題でレコード会社と訴訟になり、 新たな商材を求めたところに市場にVHSとベータが登場する。
それと同時に別の業者がこのビジネスに目をつける。
それはブームが去った茫然自失のインベーダーゲームを扱う業者や店舗だった。
一過性のブームに踊らされた彼らは反省し、 映画や音楽など普遍的な商材に目を向け動き始める。
彼らには機械の知識、店舗運営、人脈、物流倉庫などノウハウがあり独自に動き始める。
ある者はそのままゲームセンターやゲームの開発を行い、別の者はカラオケに参入、そしてある者はレンタルビデオの流通、店舗運営に入り込む。
そうして『家で映画が見れる』レンタルビデオというビジネスが確立。
売り上げが上がった従来の貸レコード業者は店舗、売り場を拡大しレンタルビデオという名前に。
さらに前述の業者がお米屋やふとん屋、雀荘などあらゆる店舗に声をかけレンタルビデオの業態に変えさせ流通網を拡大。
さらに儲かると思った書店やパチンコ屋も新規参入。
そうした動きが重なり全国に爆発的に普及しレンタルビデオ狂想曲の幕が上がるのであった。
犬岡淳(レンタルビデオ批評家)